ほうこうじ《はうくわうじ》 【方広寺】 ○(1)京都府京都市東山区茶屋町(チャヤチョウ)にある天台宗の寺。 梵鐘は高さ4.2メートル、外径2.8メートル、重さ82.7トン。 ◎1586(天正14)豊臣秀吉が発願し奈良東大寺に倣(ナラ)い大仏殿 を建てたのに始まり、16世紀末に完成。開山は古渓宗陳。 六丈三尺(約19メートル)の木像大仏を安置した大仏殿があっ たが、1596(文禄 5,慶長元)大地震で破壊。 1614(慶長19)豊臣秀頼が徳川家康の勧めで金銅仏および大鐘 も鋳造して1612(慶長17)完了。1614(慶長19)供養に際し、梵鐘 の鐘銘に「国家安康/君臣豊楽」の文字があったことから、徳川 家康に「家康を二分して呪(ノロ)い、豊臣氏の繁栄を祈る」として 追及され(方広寺鐘銘事件)、大坂冬の陣の口実にされた。 再興の大仏は金銅仏であったが、1662(寛文 2)地震で倒壊し 木造に建て替えられた。 1798(寛政10)大仏殿の落雷で出火して焼失。 その後、半身の木像を仮堂に安置したが、1973(昭和48)出火 で堂宇とともに焼失。 倒壊した大仏は徳川幕府によって寛永通宝に改鋳されたとい う。 ◎大仏殿は推定、南北約90メートル、東西約55メートル。京都 国立博物館所蔵の『洛中洛外図』に描かれていて、大仏・大仏 殿とも東大寺をしのぐ大きさ。 ◎境内の外に耳塚(ミミヅカ)がある:⇒みみづか(耳塚) ◎隣りは豊国(トヨクニ)神社:⇒とよくにじんじゃ(豊国神社) ◎徳川家康は豊臣家の莫大な財宝を消耗させるため、豊臣秀頼 にさかんに寺社の修理を勧めていた。 ○(2)静岡県西部、引佐郡(イナサグン)引佐町(イサチョウ)奥山(オクヤマ)に ある臨済宗方広寺派の大本山。山号は深奥山。本尊は釈迦如来。 境内にまつられる鎮守の半僧坊(ハンソウボウ)権現は火伏(ヒブセ) の霊験で知られる。 俗称は「奥山半僧坊」,「半僧坊」。 ◎1384年奥山朝藤(オクヤマ・トモフジ)を開基とし、無文元選(ムモンゲンセ ン)を開山として創建。 後陽成天皇の勅願所。のち徳川家の祈願所。 1903(明治36)分派独立。 |