たいこうけんち《たいかふけんち》 【太閤検地】 ○[歴]豊臣秀吉(太閤)が1582(天正10)から1598(慶長 3)にかけ て全国的に実施した検地。 「天正の石直し」,「文禄検地」とも呼ぶ。 (*)天正は1592まで、文禄は1592〜1596。 ◎室町以降、領国ごと地域ごとに異なった貫高による基準で検 地がなされていたが、秀吉は検地条目を定めた。石盛(コクモリ)の 法・枡(マス)の統一によって、土地の石高を定めた。6尺3寸 (約2メートル)を1間とし、方1間を1歩、30歩を1畝、 10畝を1反、10反を1町とし、さらに土地の品位を上・中 ・下・下下に分けた。 また、一地一作人の原則で登録し、荘園制による土地支配関 係を否定した。その結果、農民が直接生産者として自立し近世 封建社会の経済基礎を確立した。 |