単語 |
訳語 |
さいおうがうま《さいをうがうま》 |
【塞翁が馬】 ○[諺]人生の吉凶(キッキョウ)・禍福(カフク)は人には予測できないこ と。また吉凶・禍福は変転し定まりないもの。 禍福や吉凶に一喜一憂(イッキイチユウ)することはないこと。 「人間(ニンゲン)万事(バンジ)塞翁が馬」,「禍福は糾(アザナ)える縄 (ナワ)の如(ゴト)し」,「吉凶は糾える縄の如し」とも呼ぶ。 参照⇒かふくはあざなえるなわのごとし(禍福は糾える縄の 如し) ◎『淮南子(エナンジ)』「人間訓(ジンカンクン)」にある故事から。 昔、国境の塞(トリデ)近くに住んでいた占い師の翁(オキナ)(老人) の馬が隣りの胡(コ)の地に逃げてしまった。人々が気の毒がる と老人は「これがどうして幸いとならないでしょう」と言った。 数ヶ月たつと、その馬が胡国の駿馬(シュンメ)を連れて戻って来 た。人々がお祝いに訪れると老人は「これがどうして災いとな りえないでしょう」と言った。 二頭の間に良馬が生れ、老人の息子が喜んでその馬に乗って いて落馬して足を負傷した。駆けつけた人々に老人は「これが どうして幸いとならないでしょう」と言った。 一年後に胡の軍勢が侵入し、国中の元気な若者たちは戦って 十中九人まで死んだが、老人の息子は足が不自由であったため、 兵役を免(ノガ)れて無事で父子共々(トモドモ)命長らえたという。 |
さいおうまつり《さいわうまつり》 |
【斎王まつり】 ○三重県多気郡(タキグン)明和町(メイワチョウ)で毎年開催される祭り。 ◎2007. 6. 3(平成19)第25回斎王まつりでメーンイベントの 総勢約130人による斎王群行が行われる。 |
さいおん |
【サイオン】 ◇[登録商標]SCION ○[交]トヨタ自動車の、アメリカ国内の若年購買層向け統一商 品群(ブランド)の名称。 アメリカ国内でのトヨタの高級車のブランド名は「レクサス (LEXUS)」、その他は「トヨタ」。 日本名イストはxA、dBはxB。 ◎2002. 2.28(平成14)「サイオン」の名称を発表。 3.27ニュー ヨーク国際自動車ショーで試作車を発表。 |
さいか《さひか》 |
【雑賀】 ◇[日]Saika ○(1)[歴]紀伊国の一地方名(現:和歌山県和歌山市)。 「さいが(雑賀)」とも呼ぶ。 ◎雑賀一揆:⇒さいかいっき(雑賀一揆) 雑賀鉢:⇒さいかばち(雑賀鉢) ○(2)和歌山県和歌山市西部の地区名。 地名としては雑賀崎(サイカザキ)・雑賀町(サイカマチ)・雑賀道(サイカミ チ)・雑賀屋町(サイカヤマチ)・雑賀屋町東ノ丁(サイカヤマチヒガシノチョウ)があ る。 |
さいかい |
【西海】 ◇[日]saikai/Saikai ○(1)西方の海。特に京都から見て西方の海ので、瀬戸内海ま たは九州地方の海。 ○(2)西海道の略。 ⇒さいかいどう(西海道) ○(3)⇒さいかいちょう(西海町) |
さいかいちょう《さいかいちやう》 |
【西海町】 ◇[日]Saikai Cho ○長崎県西彼杵半島(ニシソノギハントウ)の北端部、西彼杵郡(ニシソノギグ ン)の町。 〈面積〉 67.23平方キロメートル。 〈人口〉 1995(平成 7)9,235人。 ◎1955(昭和30)面高村・七釜村が合併し西海村を発足。 1957(昭和32)瀬川村を編入。 1969(昭和44)町制施行。 |
さいかいちん |
【西海鎮】 ◇[中]Xihai Zhen、[英]Xihai City ○中国西部、青海省(Qinghai Sheng)(セイカイショウ)海北チベット族 自治州(Haibei Zangzu Zizhizhou)南部の海晏県(Haiyan Xian) (カイアンケン)にある州都。 核兵器研究開発基地展示館(原子城展示館)がある。 「シーハイ鎮」とも呼び、別称は「原子城」。 ◎1958(昭和33)中国初の核兵器研究開発基地を建設。 1964.10.(昭和39)中国初の原子爆弾の実験に成功。 1987(昭和62)核兵器研究開発基地を閉鎖。 1995. 5.15(平成 7)核兵器研究開発基地の国家現場検証を経 て、全面閉鎖を宣言。 2004. 7.24(平成16)核兵器研究開発施設を改装して原子城展 示館を開館。 |
さいかいっき《さひかいつき》 |
【雑賀一揆】 ○[歴]安土桃山時代、紀伊国(現:和歌山県)雑賀地方を中心に 起った一向一揆。 全国統一を目指す織田信長が、1570(永禄13,元亀元)大坂の 石山本願寺を攻撃(石山合戦)。本願寺軍の主力は鈴木孫一(マゴ イチ)が率いる雑賀地方の土豪・国人・本願寺門徒らの習練され た鉄砲組(雑賀衆)で激しく抵抗。鉄砲の数も信長軍を上回る 3,000挺という。 1577(天正 5)信長は雑賀衆の本拠地である紀ノ川流域の雑賀 地方も攻撃するが失敗。のち羽柴秀吉が雑賀衆の太田城を水攻 めで攻略し、石山本願寺の勢力は急速に衰える。 1580(天正 8)勅命を受けて顕如(ケンニョ)(本願寺光佐)は信長と 和議して石山本願寺を退去、雑賀の鷺ノ森(サギノモリ)に移って、 一揆は解体した。 「さいがいっき(雑賀一揆)」とも呼ぶ。 参照⇒いしやまほんがんじいっき(石山本願寺一揆),さいか ばち(雑賀鉢) |
さいかいどう《さいかいだう》 |
【西海道】 ◇[日]Saikai Do ○(1)[歴]五畿七道の一つ。今の九州地方。 824(天長元)以降は筑前(チクゼン)・筑後(チクゴ)・豊前(ブゼン) ・豊後(ブンゴ)・肥前(ヒゼン)・肥後(ヒゴ)・日向(ヒュウガ)・大隅 (オオスミ)・薩摩(サツマ)の九国、および壱岐(イキ)・対馬(ツシマ)の二島 の総称。 大宰府が統轄した。 「西海(サイカイ)」,「鎮西(チンゼイ)」,「にしのみち(西の道,西道)」, 「西国(サイコク,サイゴク)」とも呼ぶ。 ◎『古事記』では筑紫(ツクシ)・豊(トヨ)・肥(ヒ)(火)・熊襲(クマソ) の四国。 『続日本紀』の7世紀末に筑・豊・肥をそれぞれ前後に分け、 熊襲は日向(ヒュウガ)とかわり、壱岐(イキ)・対馬(ツシマ)・多(「衣」 偏+(「睦」-「目」)+「丸」)(タネ)(種子島)が加えられ七国三島。 8世紀初め、日向から分離した薩摩(サツマ)・大隅(オオスミ)を加 え九国三島。 824(天長元)多ネを大隅に併合し、九国二島。 1596(慶長元)琉球を含める。 ○(2)[歴][交]西海を通る幹線道路または西海への道。 |
さいかちむし |
【サイカチムシ】 【皀莢虫】 ○[虫]カブトムシの別称。 単に「サイカチ(皀莢)」とも呼ぶ。 ⇒かぶとむし(カブトムシ,カブト虫,兜虫,甲虫)(1) |
さいかばち《さいかばち》 |
【雑賀鉢】 ○[歴]戦国時代、紀伊国(現:和歌山県)雑賀地方の雑賀衆が用 いた、飾りの少ない実用的な当世兜。 「さいがばち(雑賀鉢)」とも呼ぶ。 |
さいかんしん《さいくわんしん》 |
【宰官身】 ○[仏]⇒しょうおう(小王) |
さいが《さひが》 |
【雑賀】 ◇[日]Saiga ○[歴]⇒さいか(雑賀)(1) |
さいがいっき《さひがいつき》 |
【雑賀一揆】 ○[歴]⇒さいかいっき(雑賀一揆) |
さいがく |
【蔡鍔】 ◇[中]Cai E ○[人]中国の清代末期〜中華民国初期の軍人・政治家(1882<光 緒 8.11. 9>〜1916.11. 8)。原名は艮寅(Genyin)(ゴンイン)、字 は松坡(Songpo)(ショウハ)。湖南省寶慶(邵陽市)の人。 1898(明治31)長沙の時務学堂に入学し、変法(国政改革)を唱 えた梁啓超(Liang Qichao)(リョウ・ケイチョウ)に師事。 日本に留学し、陸軍士官学校などで軍事学を学ぶ。 1904(明治37)帰国して江西・湖南・広西で軍事教官を務める。 1911(明治44)雲南省の新軍第19鎮第37協協統に就任。同年、 辛亥革命が勃発すると昆明で新軍を率いて革命派に呼応し、雲 南省を掌握。雲南軍政府が成立し、雲南都督に就任。 1913(大正 2)帝制復活を目指す袁世凱(Yuan Shikai)(エン・セイガ イ)打倒の第二革命で、袁世凱に北京へ呼び戻され、陸軍部編訳 処副総裁の閑職を与えられ、厳しい監視下に置かれる。 1915(大正 4)変装して北京を脱出し、日本を経由して雲南に 戻る。12月12日に袁世凱が帝政復活を宣言し、袁世凱打倒のた め唐継尭(Tang Jiyao)(トウ・ケイギョウ)・李烈鈞(Li Liejun)(リ・レツキ ン)らとともに雲南省の独立を宣言し、護国軍を組織して第一軍 総司令に就任。 護国戦争での勝利後、四川都督に就任。 咽頭結核の治療のため日本に渡り、福岡大学病院で死去(35 歳)。 ◎遺体は湖南省長沙の岳麓山に埋葬。 |
さいがばち《さいがばち》 |
【雑賀鉢】 ○[歴]⇒さいかばち(雑賀鉢) |
さいき |
【佐伯】 ◇[日]Saiki ○(1)⇒さいきし(佐伯市) ○(2)[古]⇒さいきちょう(佐伯町) |
さいきし |
【佐伯市】 ◇[日]Saiki Shi ○大分県南東部の市。 「さえきし(佐伯市)」とも呼ぶ。 参照⇒おおにゅうじま(大入島) ◎広島県佐伯郡(サエキグン)に佐伯町(サイキチョウ)があった。 岡山県和気郡(ワケグン)には佐伯町(サエキチョウ)がある。 |
さいきせいはんしゃ |
【再帰性反射】 ◇[英]reflexive reflection ○[光]入射した光線が、入射した方向に戻る反射。 反射面に直径0.01ミリメートルほどの細かなガラスビーズが 塗布してあり、入射角に関係なく入射した光線が丸いビーズの 中で屈折を繰り返して元の方向に帰るようにしたもの。 道路標識・夜間反射シートなどに利用される。 |
さいきちょう《さいきちやう》 |
【佐伯町】 ◇[日]Saiki Cho ○[古]広島県南西部、佐伯郡(サエキグン)の町。 〈面積〉 194.83平方キロメートル。 〈人口〉 2000(平成12)1万2,621人。 ◎1955(昭和30)津田町・玖島村・浅原村・四和村・友和村が合 体して発足。 1982(昭和57)佐伯町(サエキチョウ)から佐伯町(サイキチョウ)に名称変更。 2003. 3. 1(平成15)廿日市市(ハツカイチシ)に編入。 ◎大分県には佐伯市(サイキシ)がある。 岡山県和気郡(ワケグン)には佐伯町(サエキチョウ)がある。 |
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