おううえつれっぱんどうめい《あううゑつれつぱんどうめい》 【奥羽越列藩同盟】 ○[歴]1868(慶応 4. 5.)戊辰戦争に際して、奥羽・北越の諸藩 の間で新政府(官軍)に対抗するため結ばれた軍事同盟。 1868(慶応 4. 4.11)江戸開城後、会津藩・鶴岡藩ら幕末期に 佐幕活動を行っていた諸藩の藩主はそれぞれ藩地に戻って謹慎 していたが、3月に仙台に入っていた官軍側の奥羽鎮撫総督九 条道孝・総督府参謀大山綱良(ツナヨシ)・同参謀世良修蔵らは会津 藩・庄内藩の追討を目指し仙台藩・米沢藩らに討伐を命じる。 仙台藩・米沢藩が中心となって二本松藩など14藩の重臣が仙 台藩白石城(シロイシジョウ)に集まり、官軍側に徳川慶喜(ヨシノブ)の 寛大な処分と会津藩・庄内藩の赦免を嘆願したが拒否され、処 分強硬派とされる世良修蔵を暗殺。5月31日奥羽25藩の重臣が 再び白石城に集まり、会津征討中止の建白書を作成して連合、 君側(クンソク)の奸(カン)である薩長軍(官軍)を討つとした奥羽列藩 同盟が成立。さらに会津藩と盟約を結んでいた北越の長岡藩・ 新発田藩(シバタハン)ら6藩がこれに参加し31藩となり奥羽越列藩 同盟が成立。 当初は仙台藩主を盟主に、のち1868. 7. 4(慶応 4. 5.15)の 彰義隊戦争で敗れ北走した輪王寺宮(リンノウジノミヤ)公現(コウゲン)法 親王(のち北白川宮能久<ヨシヒサ>親王)を推戴し、参謀には旧幕臣 の小笠原長行(ナガミチ)らが入り、白石城に公議府、福島に軍事 府を設置。 洋式軍備に優(マサ)っていた官軍が白河口・越後口から進攻す ると秋田藩などが官軍側に協力をはじめ、7月に長岡藩が敗北 して北陸が鎮定(北越戦争)し、白河・棚倉・二本松が攻略され ると脱落する藩が相次ぎ、米沢藩・仙台藩も降伏し会津落城を 前に同盟は自然瓦解。 9月22日会津藩が降伏し(会津戦争)、官軍により平定された。 参照⇒しょうぎたい(彰義隊),『人名辞典』おおやま つな よし(大山 綱良) ◎同盟諸藩の藩主には減封・処罰が行われた。 |