さいがく 【蔡鍔】 ◇[中]Cai E ○[人]中国の清代末期〜中華民国初期の軍人・政治家(1882<光 緒 8.11. 9>〜1916.11. 8)。原名は艮寅(Genyin)(ゴンイン)、字 は松坡(Songpo)(ショウハ)。湖南省寶慶(邵陽市)の人。 1898(明治31)長沙の時務学堂に入学し、変法(国政改革)を唱 えた梁啓超(Liang Qichao)(リョウ・ケイチョウ)に師事。 日本に留学し、陸軍士官学校などで軍事学を学ぶ。 1904(明治37)帰国して江西・湖南・広西で軍事教官を務める。 1911(明治44)雲南省の新軍第19鎮第37協協統に就任。同年、 辛亥革命が勃発すると昆明で新軍を率いて革命派に呼応し、雲 南省を掌握。雲南軍政府が成立し、雲南都督に就任。 1913(大正 2)帝制復活を目指す袁世凱(Yuan Shikai)(エン・セイガ イ)打倒の第二革命で、袁世凱に北京へ呼び戻され、陸軍部編訳 処副総裁の閑職を与えられ、厳しい監視下に置かれる。 1915(大正 4)変装して北京を脱出し、日本を経由して雲南に 戻る。12月12日に袁世凱が帝政復活を宣言し、袁世凱打倒のた め唐継尭(Tang Jiyao)(トウ・ケイギョウ)・李烈鈞(Li Liejun)(リ・レツキ ン)らとともに雲南省の独立を宣言し、護国軍を組織して第一軍 総司令に就任。 護国戦争での勝利後、四川都督に就任。 咽頭結核の治療のため日本に渡り、福岡大学病院で死去(35 歳)。 ◎遺体は湖南省長沙の岳麓山に埋葬。 |